大阪高等裁判所 昭和55年(ラ)332号 決定 1980年9月10日
抗告人 森林和夫
相手方 森林良子 外一名
事件本人 森林一太郎 外一名
主文
本件抗告を棄却する。
抗告人が当審でした面接交渉の申立を棄却する。
抗告費用は抗告人の負担とする。
理由
一 本件抗告の趣旨は、第一次的に、「(一)原審判を取消す。(二)相手方両名は抗告人の事件本人両名に対する親権行使を妨げる行為をしてはならない。(三)相手方良子は抗告人との別居解消に至るまで、抗告人が事件本人両名を引取り監護養育することを認めよ。」、(三)につき予備的に、「相手方良子は抗告人との別居解消に至るまで抗告人が次の期間中事件本人両名を引取り監護養育することを認めよ。(1)事件本人一太郎の夏、冬、春の各学校休暇期間中はそれぞれの休暇開始日の午前一〇時から、夏期休暇についてはその三週間後、冬期、春期の各休暇については各その一週間後の応当曜日の午前一〇時まで。(2)右期間を除き昭和五五年七月一九日以降毎週土曜日の午後四時から日曜日の午後八時まで。」との裁判を求めるというにあり、更に当審において「相手方良子は抗告人が事件本人両名と面接交渉することを認めよ。」との予備的申立を追加した。
その理由は次のとおりである。
抗告人は○○高校卒業後、一旦、○○会社に勤務し、次いで○○○○○大学夜間部に入学して家庭教師などで自ら学資を稼ぎ苦学して同大学を卒業して、英語教師となつた経歴を持つ真面目な努力家である。そして、相手方良子と昭和四七年結婚し世帯を持つた後昭和四八年一二月事件本人一太郎を、昭和五〇年一二月事件本人道子をもうけ、昭和五三年に至るまでは格別の問題もなく極めて円満な家庭生活を続けて来ていた。
抗告人は昭和五三年四月、○○高校へ転勤した後、飲酒量が増えるようになつたが、その原因については抗告人において生来の真面目さから大学受験予備校化していく如き高校のあり方等につき、真剣に悩んだ面が存するのであり、進学中心の現状を安易に肯定しがちな一部の同僚らと若干の意見の相違や異和感を生じた点はむしろやむをえぬ事情もあつたというべきである。
抗告人の酒量は段々増えたが、他人との喧嘩、家庭内で食膳をひつくり返したこと、器物を投げつけたことについてはむしろほとんど存しなかつた。「乱暴狼藉を働くことを引きもきらず繰返し」との原審認定は根本的に誤つている。申立人は酔えば多弁とはなるが、およそ乱暴狼藉を常態とする如き無茶なタイプではない。「深酒のため」答案採点が遅そくなり、妻に採点を手伝わせることが「度重つた」との原審認定も誇張に過ぎるし、スナックに「毎晩の如く入り浸り」、「酔つてはその店の客と喧嘩をし」、「店で乱暴するので同店から嫌われてその店に行けなくなり」との原審認定も誤つており、「駅近くの呑み屋に河岸を替えた」が「同様な事態をしばしば引き起し」、また近所の人にも「酔余迷惑をかけ人の噂の的になるようになつた」との原審認定も事実に反する。いずれも相手方良子の一面的な誤解や誇張をそのまま羅列したものであり、不当である。そして、この様な酒癖の悪さが「昭和五二年冬以降殊に非道くなつた」とか、「乱酔の現場へ取押さえに来てもらつた」如き事情も存しない。昭和五四年一月二日の状況についても「酒に酔い理由もなく荒れ、食膳を蹴とばしたり、茶わんを投げるなどの大暴れし」たことはなく、相手方良子を「殴打し」、「非道い言葉を浴せ掛けた」との原審認定も誤つている。当日午前、抗告人は相手方良子と次に述べるような理由により夫婦げんかとなり、良子の頬を平手で一回打つたが、これを抗告人が詑びたため喧嘩はすぐに治つたのであつて、理由もなく荒れたり食膳や茶腕を投げたり、大暴れしたことなど全くない。しかるにそのあと、相手方良子と子供ら四人で鈴木家へ年始の挨拶に行つたところ、突然、思いがけず義父の相手方守から相手方良子と事件本人両名を預かると言渡されたのである。
抗告人は相手方守から妻子を預かるといわれた際、相手方良子が義父と何か打合せていたのだと感じたが、よろしくお願いしますといつてそのまま退出した。その理由は、同日の午前に、抗告人が家に持つて帰つていた進学準備関係の仕事を進めておくため書類をひろげたところ、相手方良子が「ここでは仕事が出来ないから仲田の実家へ帰つて仕事したらどうですか。」と皮肉をいつたため、抗告人は「実家へ帰る積りはない。ここで仕事をするのが目ざわりというなら君の方で一時実家に泊つてくれてもいい。」と答え、それがきつかけとなつて喧嘩となつてしまつたため、一~二日ほど妻が実家に泊らせてもらうよう義父と打合せたのかと思つたためである。
続いて、原審判は「同月五日もしくはその翌日頃」「申立人は独りで相手方守方へ大声で怒鳴り込んで来て、相手方良子が申立人方へ戻りたがつているのに相手方守がこれを妨げている旨」「大声でわめいて帰つた」というが、およそ誤つている。抗告人は同月六日頃まで妻子が自宅に戻るのを待ち続けたが、あまりにも帰つて来るのが遅く、妻からの連絡もないため、同日やむなく手土産をさげて鈴木家を訪ねたところ、玄関先に相手方守が立ちふさがつた。抗告人は相手方良子に会わせて下さいと頼んだが相手方守からつつけんどんに会いたくないと言つていると拒まれ、上らせて貰えず、玄関先に閉め出されてしまつた。あまりのことに抗告人は屋内にいる相手方良子に言い聞かせる積りで「良子、君がそこにいるのはわかつているんだ。いいかげんに帰つてくれ。非常識だ。大人なんだから自分で言つたらどうなんだ。」と玄関先から呼びかけた、という事情なのである。
同月一三日、大学入試共通一次試験の終つた日、抗告人は事件本人両名及び義姉山川夫婦の子供らへのケーキを二箱買つて再度鈴木家を訪ねケーキを差し出したが、話を聞こうともしない相手方守から手荒く玄関先で閉め出されてしまつた。やむなく同様に玄関口から屋内の相手方良子に早く戻つてほしい旨呼びかけたが、いずれもやむをえぬ措置であつて、原審判示の如く、「相手方守方へ大声で怒鳴り込んで来て、相手方良子が申立人方へ戻りたがつているのに相手方守がこれを妨げている旨、大声でわめいて帰つた」とか、「その後申立人が長男に会うため相手方らの住所へ来たところ、玄関先で隣近所へわざと聞えるように大声でわめきちらし」などという状況ではない。原審は抗告人側に十分事実を確認することなく、この様な一面的認定をした不当がある。
原審の認定するように「相手方良子の姉と大声で口論」したこともない。義姉との間には、同年三月四日頃抗告人が通行中たまたま子供らが幼稚園から帰つてくるのに出会つた際、同行していた義姉から「誘拐しに来たのですか。」とてひどい言葉を浴びせられたことがあり、また同年五月頃子供の日に事件本人一太郎に会うため実兄森林一郎とともに鈴木家を訪ねた際、出て来た一太郎を抱いていたところ、義姉が突然「やめて下さい」といつて抗告人につかみかかり一太郎を抗告人の腕の中から無理に引き離そうとしたため、双方から引き合いの形となつてしまい、親として一太郎への影響を案じた抗告人が手を放すと、勝ち誇つた義姉が一太郎を引つぱつて奥の間に入れてしまつた事情がある。相手方良子の身内の者は一貫して抗告人に対し以上のような非人情というほかない行為をして来たのである。
抗告人夫婦においては、少くともこのような事態に至るまで、相互に自らの考えを相手に伝えようとし、また相手がどのような原因で悩んでいるかについて互により深く理解しようとする努力が尽されたものとはいい難い。その責任は相手方良子においても(申立人の元々真面目な人柄を知りつつ婚姻に踏み切つた以上)応分に負担せねばならない。抗告人は調停手続中に相手方良子を女性の理想像であつたように述べたのであるが、これはひとえに同女に元の円満な家庭生活に戻つてほしい気持から相手の非をあげつらう事態を避けたがためであつた。もし、抗告人が相手方良子に離婚に至る決意があることを早期に知らされていたなら、抗告人は飲酒を慎しんでいたはずである。
抗告人は事件本人らに対してこれまで粗暴な振舞に出たことはなく、非常に可愛がつていたのであり、この点は調停において相手方良子も認めていたところである。抗告人にとつて事件本人らとこのように長期間別れて過さねばならぬことほどの苦痛はない。現に昭和五四年一二月七日別居後唯一度の事件本人らとの接見の際、抗告人は危うく落涙しかけたほどである。約三〇~四〇分間のこの接見が極めて円満に推移したことはいうまでもなく、その状況は抗告人及び抗告代理人各撮影の検甲第一ないし第八号証のとおりである。これに立会つた裁判官が原審判を担当されなかつたため、事件本人らの抗告人に対する態度について、原審は「申立人を特別なつかしんだり、申立人と暮し得ないことを特に苦痛とする風はなく、むしろ申立人との従前の生活中における申立人の乱暴な振舞の印象未だ消えやらず、申立人との面接や来訪をさけるというよりこれを嫌悪している」「申立人が上記子供らに与えた父親として好ましからざる且つまた幼児らの情操に悪しき影響をもたらすべき幾多の粗暴な振舞の印象全く消え去つたとは未だ認め難い」等の、およそ誤つた判示をした。かかる判示は上記接見の際のなごやかな印象におよそ反した、不当な認定となつている。
一般に、離婚成立後においても子と別れた親は一定の範囲で子と接見し子を監護することが認められる事例が数多い。抗告人と相手方良子夫婦のように裁判離婚に至るような帰責事由がなく、不和の原因となつた飲酒も抗告人において慎んでいる事情の下で、原審判のように父である抗告人の事件本人両名への接見をおよそ一切認めないような不公平な裁判が妥当であるとは考え難い。すみやかに原審判を取消し、前記趣旨の裁判を求める。
二 当裁判所の判断
当裁判所は、抗告人の本件子の監護に関する処分(面接交渉)の申立(当審でした面接交渉の申立を含む。)をすべて理由がないものと判断する。その理由は、次のとおり付加するほかは原審判の理由二及び三(原審判四枚目表九行目から一〇枚目表五行目まで)と同一であるから、その記載を引用する(ただし、原審判五枚目表九行目「狼籍」を「狼藉」と改める。)抗告人は原審判の事実認定に誤りがある旨主張するが、一件記録によれば抗告人の指摘する各点についての原審判の認定は正当であり、誤りはないと認められるから、右抗告人の主張は採用することができない。
抗告人は、一般に離婚成立後においても子と別れた親は一定の範囲で子と接見し子を監護することが認められる事例が多いのであるから、抗告人と相手方良子夫婦のように裁判離婚に至るような帰責事由がなく、不和の原因となつた飲酒も抗告人において慎んでいる事情の下においては、抗告人に対し少くとも事件本人両名と面接交渉をすることが認められるべきである旨主張するので、この点について判断する。
父母が法律上の離婚には至らないものの別居状態にあり、子と同居し実際上子を監護している親とそうでない他の親との間で他の親の面接交渉権について協議が調わないときには、民法七六六条、家事審判法九条一項乙類四号の類推適用により、家庭裁判所は、子の監護につき必要な事項として、他の親の面接交渉権行使の方法(面接の態様、回数、日時、場所など)を定めることができ、右の場合に子の福祉のため必要があるときは、家庭裁判所は右面接交渉権を、一定期間又は期間を定めず、行使させないこととすることができるものと解するのが相当である。
本件において、一件記録によれば、事件本人らは抗告人と相手方良子とが別居して以来相手方良子に引取られ、同女の両親宅に転居しそれに伴いそれぞれ小学校、幼稚園を転校、転園したが、ようやく新住居での生活に慣れ情緒的に安定し始めて来ているところであること、事件本人らは抗告人との同居生活中における抗告人の乱暴な所為に対する畏怖感が消えず抗告人との面接を避けるというより嫌悪していること(相手方良子の一方的な指嗾によるものではない。)、抗告人と相手方良子は離婚をめぐつて鋭く感情的に対立した状態にあること、このような状況のもとにおいて仮に抗告人に対し事件本人らとの面接交渉を認めるとすると、抗告人にとつては子の成長を目でたしかめ愛情をそそぐ得難い機会となるであろうが、事件本人らに対し情緒面の安定に悪影響を及ぼし、また、この面接交渉をめぐつて相手方良子と抗告人との間の感情的対立を激化させ、事件本人らのためにも目下最重点的に調整されなければならない抗告人と相手方良子との夫婦間の懸案解決を遅らせる結果となること(抗告人は相手方良子との現在の如き不安定な夫婦関係を事件本人らのためにもまず第一に解決すべきである。)が認められる。
右事実その他一件記録にあらわれた一切の事情を総合して考えると、現在の段階においては、事件本人らの福祉のため必要があるから、抗告人に対し事件本人らとの面接交渉を認めないこととするのが相当である。
よつて、原審判は相当であつて、本件抗告は理由がないからこれを棄却し、当審における抗告人の面接交渉の申立も理由がないからこれを棄却し、抗告費用は抗告人に負担させることとして、主文のとおり決定する。
(裁判長裁判官 川添萬夫 裁判官 菊地博 庵前重和)